世界の為替に関する重要事象を、時系列化してまとめました。経済や株式など、為替とも間接的に影響のある事件も併記しています(灰色の背景部分)。また各事象の重要度・影響力の大きさを、4段階の★印で表しています。
西暦 |
事象と重要度 |
概要 |
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1944年 |
ブレトンウッズ体制
(★★★★) |
連合国44カ国が集まり、戦争の原因であったブロック経済や保護貿易主義を止め、為替レートの安定と自由貿易の発展を目指すことで合意。IMFの設立や、金1オンス=35ドルの交換を約束する「金&ドル本位制」などが決められる。
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1947年 |
IMFが業務開始
(★★☆☆) |
米国でIMF(国際通貨基金)が実際に業務開始。 |
1952年 |
日本がIMFに加盟
(★★☆☆) |
IMFに日本が加盟(理事国にもなる)。 |
1960年代 |
高度経済成長期 |
日本経済が東京五輪特需や1ドル=360円の固定レートを生かし、GDP成長率が10%を超える高度成長期を迎える。 |
70年代前半 |
ニフティフィフティ |
米国で優良大型企業がもてはやされ、それらの株価が暴騰する「ニフティフィフティ(素敵な50銘柄)」バブルが発生。 |
1971年8月 |
ニクソンショック
(★★★★) |
アメリカが金=ドルの交換を撤廃。金1オンス=35ドル⇒38ドルへ固定レートも引き上げられる。 |
1971年12月 |
スミソニアン協定
(★★★☆) |
今までほぼ固定されていた、先進各国のドルに対する為替レートが引き上げられる。ドル円レートも360円⇒308円へ切り上がる。 |
1973年3月 |
変動相場制が開始
(★★★★) |
スミソニアン協定が廃止され、主要先進国の通貨が全て、完全変動相場制へと移行する。 |
1973〜4年 |
オイルショック |
原油価格が高騰し、先進国で物価が急上昇。日本も戦後初めて、実質GDPがマイナスを記録する(1974年)。 |
1976年1月 |
キングストン合意
(★★★☆) |
ニクソンショック以降も(交換は出来ないが)金とドルとのレート固定が続いていたが、これを完全撤廃。以後、世界の為替は事実上ドル本位制となる。 |
1985年 |
プラザ合意
(★★★☆) |
先進国がドル高対策として、ドル売りの協調為替介入を行う。これを受けて1ドル230円台だったドル円レートが、1年後には150円まで円高に。
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80年代後半 |
日本のバブル景気 |
日本がバブル景気に沸く。日本株の時価総額がアメリカを超える。現在でも日経平均の最高値は、1989年大納会に付けた38915円。 |
1987年10月 |
ブラックマンデー |
10月19日(月)、NYダウが一日で-22.62%(508ドル安)という史上最大の下落率を記録、ブラックマンデーと呼ばれる。翌日の日本でも、日経平均が-3,836円(-14.90%)という史上最大の下落率&下落幅を記録した。 |
1990年前後 |
ブラジルでデノミ
(★☆☆☆) |
ハイパーインフレが起きていたブラジルで、4度に渡り、通貨呼称の変更とデノミが敢行される。通貨価値は合計で2.75兆分の1に。 |
1992年9月 |
英国がユーロ参加断念
(★☆☆☆) |
イギリスが統一通貨ユーロへの参加を断念。原因の一つが、ジョージ・ソロスが仕掛けた英ポンド売りをイングランド銀行が対処しきれず、1ポンド=2.95独マルクの固定レートを保てなくなった事がある。 |
1994年1月 |
人民元が大幅切り下げ
(★★★★) |
1ドル=5.72元でアメリカドルと固定していた為替レートが、1ドル=8.72元へと大幅に切り下げられる。これ以後、中国が急激な経済発展を遂げる一方、日本経済の没落が始まった。 |
1995年4月 |
- |
ドル円の為替レートが1ドル=79円75銭の史上最高値を記録。 |
1997年 |
アジア通貨危機
(★★★☆) |
経済が脆弱なアジア諸国の通貨が、ヘッジファンドの売り浴びせに合う。タイ、インドネシア、韓国がIMFの支援を受ける。 |
1998年8月 |
ロシアがデフォルト
(★★☆☆) |
アジア通貨危機やヘッジファンド=LTCM破綻などの影響で、ロシアルーブルが大幅下落。8月17日には対外債務支払いの90日間停止を発表(=ロシア国債のデフォルト)。 |
1998年10月 |
- |
7〜8日の2日間で20円超の急激な円高⇒ドル円の一日の変動幅 |
1999年 |
ユーロ誕生
(★★★☆) |
1月1日、欧州統一通貨=ユーロが誕生
(正式な紙幣・貨幣の導入は2002年1月1日より) |
2000年前後 |
ITバブル |
米国や日本で、IT関連企業の株価が暴騰する「ITバブル」が発生。 |
2001年12月 |
アルヘンがデフォルト
(★☆☆☆) |
アルゼンチンが対外債務不履行(デフォルト)。1ペソ=1ドルの固定相場制が崩壊する。 |
2003年4月 |
日経平均が最安値 |
4月28日、日経平均株価がバブル後最安値となる7607円まで下落。 |
2003年6月 |
長期金利が史上最低 |
ITバブル崩壊や長引く不況から、リスク資産(株式&銀行融資)から国債へとマネーが逃避し、日本の長期金利が史上最低となる0.43%を記録する。 |
2003〜4年 |
史上最大の為替介入
(★★☆☆) |
円高不況対策として、断続的な円売り為替介入。累計32兆円以上の円売り・ドル(ユーロ)買いが行われた。 |
2000〜06年 |
米不動産バブル |
アメリカでサブプライムローンが普及し、貧困層でも家を買えるようになり、不動産価格が暴騰するバブルが発生。 |
00年代半ば |
円キャリー激増
(★★★☆) |
為替FXが個人投資家にも浸透したことで、円を売って高金利通貨を買う「円キャリートレード」が激増。現実の為替レートも、日本でデフレが続いてる事に反して、円安傾向が強まっていく。 |
2005年7月 |
人民元の切り上げ
(★★★★) |
1ドル=8.72人民元で固定されていたレートの、段階的な切り上げが発表される。以後、毎年4%程度ずつ対ドルレートが切り上がっている。 |
2006年8月 |
ジンバブエでデノミ
(★☆☆☆) |
ハイパーインフレが起きていたジンバブエで、通貨単位を1000分の1にするデノミが敢行される。その後もムガベ政権の圧政は続き、ハイパーインフレはさらに進行していく。 |
2007年 |
米不動産バブル崩壊 |
アメリカで住宅ローン破綻が続出、世界中に散らばっていたサブプライムローン債券が暴落し、世界的な金融危機の火種となる。 |
2008年 |
原油バブル |
実体経済が減速しているにも関わらず、原油価格が高騰する「原油バブル」が発生(史上最高値は7月11日の1バレル=147ドル)。 |
2008年9月 |
世界的金融危機
(★★★★) |
9月15日のリーマン破綻、16日のAIG国有化、30日の金融安定化法案が米下院で否決されるなど、予想外の出来事が頻発。世界的な金融危機(俗に言うリーマンショック)が叫ばれ、各国の株価が大暴落する。これを受け、世界の全ての通貨に対して円高が進行した。 |
2008年12月 |
- |
1ドル=90円割れにまで超円高が進行する |
2009年3月 |
日経平均が最安値更新 |
3月10日、日経平均株価がバブル後最安値を更新する7054円を記録。 |
2010年5月 |
ダウ大暴落 |
シティグループがP&G株を誤発注したことが引き金となり、NYダウが1日の史上最大の下げ額となる−998ドルを記録する。 |
2009〜11年 |
欧州債務危機
(★★☆☆) |
金融危機を受けてアイスランドが国家破綻。また債務を隠蔽していたギリシャも、国債がデフォルト寸前に陥った。 |
2011年2月 |
豪米レート逆転
(★☆☆☆) |
史上初めて、豪ドルレートが米ドルを上回る |
2011年3月 |
- |
3月17日、ドル円レートが市場最高値を更新(76円25銭)。東日本大震災を受けたレパトリエーションが原因と見られる。 |
ニクソンショック以降の変動相場制で、ドル円の為替レートは一貫して円高傾向が続いています。但し、80年代までの円高は日本の高度成長を反映したもの(バラッサ・サミュエルソン効果)ですが、90年代以降の円高は日銀の失政(金融緩和の圧倒的不足)が原因で、根本的な理由が異なります。
日本政府の債務は増え続けており、一方で高齢化により国民の純資産は減少しており、国内での国債消化余力は減る一方です。日銀が国債引受を行わなければ、ロシアやアルゼンチンのようにデフォルトに陥る可能性も否定できません。この表に『○○年×月 日本がデフォルト』と書き込む日が来ない事を願いたいですね。